東京原宿神宮前にてチタンアクセサリーをデザインから制作、仕上げ工程までの現場から書いています。ここでの制作のテーマは『いかにミニマムな中に個性を収めるか』です。つまりどれだけ単純な方法の中で主張できるか、自分流のシグナルを発っせられるかどうかを念頭に作ります。
いいなと共感できるデザインはシンプルで複雑。地味なのにハデ。一見おとなしいのに個性的。そんな矛盾の同居を感じ取ることができる。ごくごく限られたなかに情報が詰まっている小宇宙なのです。
”シンプル”をどう解釈するか。だれにでも似合うようなつまらないデザインととるか、究極の引き算の行き着いたその先とみるか。 装飾とは付け足し、あるいは小細工とも言う。デザインする事と装飾する事はちがうと思う。デザインとワザも違うと思う。
素材に依存しない。
高価な素材すなわち良い物、良いデザインとはならないです。プラチナを使ったから、即、高価なものとはいえないし、ダイヤをあしらったデザインであっても、その事とデザインの作品としての良し悪しは必ずしも比例しないと考えます。
素材に依存してしまうと、主役はデザインではなく、材質の方になってしまうから。
デザインは『情報』
ニューヨークの地下鉄グラフィティを撮りに行って本を出版した友人と『デザインってさ。情報だよね。』という話しになったことがあります。プラットフォームのサインも駅の色も目から入ったデザインは情報となって受け取られている、と。
そしてアクセサリーもまた、その人をあらわすひとつの情報になるんだもんね、と。
どんな顔、どんなものを身に着けるかもビミョウな表情の読み取りが感知されてフツー意志疎通がなされるんだから。 その人を形成する情報をちょっとしたこともかすかでもに感受しながらコミュニケーションしているんだと思う。”デザイン”はなにも、おおげさに何かを施す必要なんてないなと思ったりします。人って、ほんの微々たる変化さえも解読できる情報の中で日々暮らしているんだから。
デザインを発信する。
だれに向けて?
ブルーノートのそばの音楽事務所の社長さんが教えてくれたことがありました。
誰もが良いと認めるもの、わかり易く、広く社会に露出するものに大衆の関心が集中する今の世の中にあって、その対極にあたる人々も必ず居るんだとおっしゃる。
” 有名だから、はやりだから、楽だから”聴くのではなく、難解ではあっても自分の価値観を信じる人たちによってじわじわ浸透してゆくような、例えばインディーズバンドを支持するようなマー ケットもちゃんと存在すると。有名なものに群がるマジョリティばかりで大きなマーケットが形成されているのではなく、その対極にはみずから 判断する鑑識眼を持ったマイノリティもれっきとして存在しているのだそうです。